信州の山奥で猫と犬と暮らす

アクセスカウンタ

zoom RSS 中山道 塩名田宿まで歩いてみました

<<   作成日時 : 2016/01/10 14:30   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

今年は信州もまだ雪が降っても、積もらないので
ウォーキングを楽しんでいます。昨日は、中山道の
塩名田宿まで歩いてきました。

先日、本屋に並べてあった中山道を紹介した本を
買いました。長野県佐久市の付近の中山道には
江戸側からやってくると、岩村田宿、塩名田宿、
八幡宿、望月宿、茂田井間の宿があります。

画像


この本に中山道の歴史や用語の解説が書かれて
います。その一部を紹介します。

中山道は、当時の江戸から京都までの135里ほどの
街道で69の宿場がありました。1里というのは、およそ
4kmですから、540kmあり、ここを昔の旅人は1日に
6里から7里(24kmから28km)歩いたなら、20日から
25日くらいかかったと思います。

街道両側に1里塚というのが作られていて、小さな古墳
のように土が盛られて、榎や桜の木などが植えられて
いました。旅人は、夏の暑い日に、この1里塚の木の下
の木陰で休んだと思われます。

宿場に入ると、宿屋が並んでいたのですが、幕府の役人
などの公務の旅人は、本陣や脇本陣に泊まりました、
今も残っている本陣がありますが、とても大きな屋敷です。
大名宿とも呼ばれていました。

問屋というのも残っていて、自分も最初は何の問屋なのかと
思っていましたが、当時の問屋というのは、現代の宅急便
の配送所のようなものでした。前の宿場から送られてきた
荷物を速やかに次の宿場へ運んだり、人馬の手配をした
所です。

旅籠屋(はたごや)は、一般の旅人に食事を提供して
宿泊させるところで、これに対して、米を持参して自分で
食事を作って泊まるところを、木賃宿(きちんやど)と呼んで
いました。

中山道が整備されたのは、西暦1600年の関ケ原合戦が
終わった後ですから、今から400年ほど前ですが、当時の
建物がまだ残っているのは、この地に空襲などが無かった
ことが大きいです。これからも、こうした古い建物を保存して
いくには、国で費用を負担する必要があると思います。
特に土壁(つちかべ)の崩れてきているのが目につきます。



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
中山道 塩名田宿まで歩いてみました 信州の山奥で猫と犬と暮らす/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる